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2016年08月06日

雨の降りながら 花の散る

今日も雨~(T_T)(T_T)

昨日は、午前中に「ダイエー買い出し」に行って
「そのまま、花火みてこ♪」となり

長浜漁港で、宿題の標本用の蝶取り
真昼間の小湊集落歩きで、子供に大ひんしゅく<`ヘ´>
暑いし、、 広いし、、 面白さが伝わらないし、、



車で子供が寝ている間に、朝戸~ニシムタ間の旧道のトンネルへ
しばらく、一人でウロウロ

このトンネルは、子供のころから ホント大好きで
「寝てても、トンネル来たら起してね!!」と親にお願いしていたのを記憶している

今は通る車もないので、トンネル入り口(朝戸側)に立つと
水の流れる音が、反響して なんともいえない不思議な感覚に。。。
「千と千尋の神隠し」のワンシーンのようでした(^^)


長浜から朝仁のトンネルには、「トンネル」ではなく「墜道」とある  「遂」かな?
辞書には載ってない単語だけど、なんか戦時中って感じ(゜-゜)

戦時中は、竹やり訓練だけでなく「道路工事」「軍事施設建設」なども行われていたらしく
コンクリの色合いや質感が、イイ~!(^^)!

敵が来るかもってのに、丁寧に作ってありますよね☆
島尾敏雄のような、内地から来た軍人さん達の足跡でしょうか??

と、ここで、広島原爆のサイレンで、黙祷― と。。

続き!
ネットで、コンクリを検索したら、戦前はポルトガルなどのヨーロッパ系の建築方式が多く
耐久性を重視しているらしい 戦後はなんだったかな?忘れたけど・・・

墓地散策でも、この手のコンクリ見かけますね
作成日付が書かれてる事が多くて、昭和10年前後の物が多いです

墓石でも、よく「○○二等兵」の書かれてるのも見かけます
戦地で亡くなったのか
戦地から帰ってきてから亡くなって、功労の証で書かれてるのか、分らないですけど

だいたい、明治期、大正没の戦没者墓石は、このコンクリでできてるのでは・・・? という気がします
目効きできる人がいたらなぁ~


明治以前から、どこの国々でも戦はあって、島国の日本の歴史文化にも
もちろん何かしらの影響、足跡が残っていて、、、

その中でも、今日の「原爆投下」は、非常に大きな足跡だったと。。。
(サイレンがなったので、何故かこんな方向へ来てしまった(-_-;)
小三の息子にも、そろそろはだしのゲンをすすめよう~っと



 で!!!!!!  今日の八月踊りも中止?!?!?!  花火より、楽しみだったんだけど(-"-)
 






Posted by あまゆみ  at 08:40 │Comments(1)

この記事へのコメント
広島に原爆が落ちた時
祖母は、挺身隊(工場で戦争用の何か作成)で長崎に居たらしいです

長崎も危険だ という事で帰島 その後、長崎に原爆が

戦時中のキリスト教弾圧は、どこの誰がしていたのか


昨日は、西中勝の教会で、フランチェスコの画を、息子達にも見せて
祈りの言葉「父と、子と、聖霊の名において アーメン」を教えたら
次男は嬉しそうに、胸に十字をかたどり
宗教施設が苦手な長男も、中に入ってくれました(^^)

あめのきさき (天のきさき) ↓↓ 2分
https://www.youtube.com/watch?v=5Zw33qcJ12Y
Posted by あまゆみあまゆみ at 2016年08月06日 09:04
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    コメント(1)