2017年01月22日
かねく
昨日シンポジウムの行われた小湊フワガネク遺跡の時代を、「兼久時代」と私はよんでいる。
最初に指標となる土器(兼久式土器)が、徳之島の天城町兼久で発見されたからだそうだ。
高梨さんは、「ヤコウガイ大量出土遺跡群」と言うべきだと本に書いてあった。
発掘された年代も違う兼久時代遺跡群。研究者によって出土品の何に注目するかによって違うのだろう。
フワガネクは、6~7世紀の時代と、11世紀頃の二つの層からなるらしいです。
空白の8,9世紀の物が小湊で発掘できたらなという発言も出た昨日のシンポジウム。。
とんでもない(;一_一) ってのが私の率直な感想で
笠利にたくさん兼久時代の遺跡あるのに掘らんでいいよ~ 物も報告書もあるのに・・
手元にある資料でどうにか専門家が検証してくれたらな と本気で思った・・
発掘ってお金かかるらしいしさ(゜-゜)

2002年笠利町発行 「ふるさとは博物館」の年表
これにはまだ、喜界島の城遺跡はのっておらず
ヤコウガイ大量出土遺跡群 「群」の大半は笠利にあるんですよね~
あ、徳之島の面縄にもあるようですよー(^。^) 本年度国指定遺跡になりましたー!(^^)!
シンポジウムするって新聞に載ってましたね☆ こづかい貯めなきゃです!
大島のグスク時代の本格調査はいつかな~ じーと待つべきか つついた方がいいのか・・
にしても、みなさん高梨さんが大好きなんですね~ チクチクつつかれっぱなしの昨日のシンポジウム
本人も感極まる場面もあったのだけど・・ また一区切りついて、さあ!さあ! 次、ヤマジロいきましょう!

最初に指標となる土器(兼久式土器)が、徳之島の天城町兼久で発見されたからだそうだ。
高梨さんは、「ヤコウガイ大量出土遺跡群」と言うべきだと本に書いてあった。
発掘された年代も違う兼久時代遺跡群。研究者によって出土品の何に注目するかによって違うのだろう。
フワガネクは、6~7世紀の時代と、11世紀頃の二つの層からなるらしいです。
空白の8,9世紀の物が小湊で発掘できたらなという発言も出た昨日のシンポジウム。。
とんでもない(;一_一) ってのが私の率直な感想で
笠利にたくさん兼久時代の遺跡あるのに掘らんでいいよ~ 物も報告書もあるのに・・
手元にある資料でどうにか専門家が検証してくれたらな と本気で思った・・
発掘ってお金かかるらしいしさ(゜-゜)
2002年笠利町発行 「ふるさとは博物館」の年表
これにはまだ、喜界島の城遺跡はのっておらず
ヤコウガイ大量出土遺跡群 「群」の大半は笠利にあるんですよね~
あ、徳之島の面縄にもあるようですよー(^。^) 本年度国指定遺跡になりましたー!(^^)!
シンポジウムするって新聞に載ってましたね☆ こづかい貯めなきゃです!
大島のグスク時代の本格調査はいつかな~ じーと待つべきか つついた方がいいのか・・
にしても、みなさん高梨さんが大好きなんですね~ チクチクつつかれっぱなしの昨日のシンポジウム
本人も感極まる場面もあったのだけど・・ また一区切りついて、さあ!さあ! 次、ヤマジロいきましょう!
Posted by あまゆみ
at 07:23
│Comments(3)
要するに、古い時代の発掘調査の報告書をもっかいちゃんと見直してくれないかなぁ
っていうのが考古学の方たちへの願いです。
昭和あたりの大学機関の行った発掘調査の上(層)部分ってちゃんと検証したり記録に残してるのでしょうか?
縄文~弥生~兼久~グスク~琉球~薩摩~ ほとんど複合遺跡じゃない・・? どうなんでしょ? 報告書みてもチンプンカンブンだから私。。
消去してね。)
昨日のシンポ、楽しかったですねえ。
発表はどれも興味深くて、一人30分じゃもったいないなあと、つくづく思いました。
それぞれ2時間くらいの講演を、日を改めて何度もしてくれたらいいのに。
広田遺跡の石堂先生の話なんて、元気な頃のみちよさんが聞いたら、膝を打って共鳴していたでしょうね。
でも、寒かった^じ^;
シンポの内容はまだ未消化なので、もう少し自分の中で発酵させてから、DEIのブログでも紹介しようと思ってます。
たぶん、ほとんどは消化できないと思うけど。
発表の中にもあったけど、発掘調査の結果(報告書の内容)というのは、
あくまで、その時点での「理解度」や「解釈」だからね。
後から同じ遺跡や別の遺跡を調査したら、また違う事実や発見があったりして、その度に理解度が高まって(深まって)、今までとは違う解釈がでてくる、ってのがアタリマエなのでしょう。
宇宿貝塚の母子人骨も、
弥生時代後期→中世(平安相当)に解釈が変わってるしね。
報告書というのは、いつまでたっても「完成」しない仮の姿、みたいなことを、
近江先生(だったかな)が言ってましたね。
中山先生が想定していた「兼久時代」の年代幅についても、
今では、より「深化」していて、それに伴ってマツノト遺跡やフワガネク遺跡の「年代感」もだいぶ変わってきているのが、第8回奄美考古学会での成果じゃなかったでしたっけ?
笠利もまだまだ調査されていない遺跡はあるはずだし、笠利以外にはさらにたくさんの埋もれた遺跡があると思うので、どんどん掘って欲しいなあ。
笠利については、フワガネク上層期(宇宿貝塚の中世遺跡相当期)の遺跡をもっとしっかり調査して欲しいけど。
そう言えば、昨日ちょろっと耳に挟んだ話だけど、
地底レーダーっていう、刈払い機みたいな調査機械があるんだって。
これ、地質によっては、わざわざ掘らなくても地中の遺物がわかるらしいよ。
^じ^
機械つかっても、結果は血液検査表みたいのがでてくるんでしょ(笑)
昨日今日と、いくら好きな分野とはいえ、イスに座って話きくのがこんなに疲れるものかと痛感ました。
学生はエライね(>_<)
今日聞いた話はね、中山先生やみちよさん(歴民館・貝塚勤務してた)から、噛み砕いた形で聞いた話が多かった(笑)
骨から炭素を出すとかっての表も勉強会で見た事あるものだったりして、懐かしかったです!(^^)!
喜界島も種子島も行きたいなぁ~
種子島は 「鉄砲伝来」あるし、中世も面白そうよね!
埋葬場所としての立地、、 行きたいなぁ~ 広田遺跡